明智光秀の子孫が語る「本能寺の変」の真相!? [雑感]
僕は、けっこう歴史好き。
NHKの大河ドラマはずーっと欠かさず見てるし、歴史関連の本もよく読みます。
歴史って、おもしろいっすよね。
なぜなら、本当に正確なことは誰も知らなくて、いろいろな文献などから
「たぶん、こーだったんじゃないの!?」っていう、半分は想像のストーリー。
だから、諸説あったりして、そこにロマンを感じるわけで。
ちょっと前の「軍師官兵衛」でやってたけど、
戦国時代の歴史で、いまだにナゾが多く興味深いのが「本能寺の変」。
織田信長が家臣の明智光秀(上の肖像画の人ね)に暗殺されちゃった事件です。
8月29日に放送した稲垣吾郎さんの番組
「ゴロウ・デラックス」に明智光秀の子孫で作家の明智憲三郎さんが出て、
憲三郎さんの新著『本能寺の変431年目の真実』に基づき、
本能寺の変の「真相」が紹介されたんだけど、面白かったぁ。
明智光秀ってさ、主君・織田信長の厳しい仕打ちにキレて謀反を起こし、
警戒が手薄だった本能寺で信長を殺しちゃった悪いヤツって思われてるから、
子孫の憲三郎さんはツラかったらしいよ。
「明智」ってカッチョいい名字だけど、
「あー、あの明智光秀のご子孫ですかぁ」となると、周囲が引いたりして。
子どもの頃とか、きっとイジめられちゃったんだろーね。
憲三郎さんは、なーんも悪くないのに。
で、憲三郎さんは三菱電機のシステムエンジニアをしてたんだけど
「うぇーん、子孫というだけで嫌われてくやしいよぉ。
なんで光秀は信長を殺しちゃったの!?」と、真実を知りたい一心で、
50年にわたり独自に本能寺の変を調べてきたそうです。
光秀が謀反を起こした動機にはいろんな説があります。
①「こんにゃろー、信長いいかげんにしろよ!」という【怨恨説】
②「信長に代わって天下取っちゃうもんね」という【野望説】
③「○○○さんに頼まれました」という【黒幕説】
④「四国の長宗我部元親とは仲良しだから、
四国を攻めろという信長には従えないよ」という【四国説】
でも、憲三郎さんが主張するのは、これらの通説とはまったく違うんだよね。
勝手に名付けさせてもらうと【家康説】。
信長は徳川家康をかねてから危険人物として恐れていて、
殺しておかないと自分がピンチになるかもと、
本能寺におびき寄せて暗殺しちゃいなって光秀に命じたんだって。
ちょうどそのとき家康は上洛している最中で、
光秀の家臣の記録に「本能寺に行くのは、家康を討ちに行くのだと思ってました」
という記載があるそう。
当時信長は中国を征服しようという野望があり、
「光秀、中国へ行ってきてよ」と命令されたら、
最悪の場合、明智一族が滅亡しちゃうかも。
だから、光秀は「中国へ行く」or「謀反を起こす」の
どちらかを選ばなきゃいけない状況だったと憲三郎さんは言います。
それで、謀反を選ぶわけよ。
信長を裏切って、家康に「信長があなたを殺せって言ってるよ」と教えます。
「こんな大切なことを教えたんだからさ、僕が信長を暗殺したら協力してね」と。
これを裏付けるものとしては、
スペインの貿易商人アビラ・ヒロンが記した「日本王国紀」。
信長が本能寺で殺されるとき、
最後に「わしは自ら死を招いた」と言ったと書かれているそうです。
「あちゃー、光秀に家康を暗殺しろって言ったのに、
光秀と家康が結託して自分を殺しに来ちゃったよ」という感じかな。
でも家康は全然協力してくれないし、
羽柴秀吉は「中国大返し」で長距離をソッコーで戻り、山崎の戦いで光秀を討ちます。
秀吉は「主君・織田信長を暗殺した裏切り者の明智光秀を成敗したよ」
「光秀が信長を恨んで殺すなんて、とんでもないヤツじゃん」と、
本能寺の変のわずか4カ月後に書物に記し、やがて権力者に。
これについて、憲三郎さんは「日本中が430年前の秀吉に騙されている」と。
もしかしたら、本能寺の変から中国大返し、
そのあと秀吉が天下人になるまでのシナリオを書いたのは、軍師官兵衛かも。
官兵衛が本能寺の変をあらかじめ知っていたという説もあるし。
いろんな説があるからこそ、歴史っておもしろいですよね。
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