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セナ没後20年、ウィリアムズのマシンに写真&ロゴ [F1]

ayrton1.jpg

もう20年経つんですね、セナが事故死してから。
セナフリークの僕は、いまもあの日を覚えています。

1994年5月1日。
F1サンマリノGPのテレビ放送がはじまる2時間くらい前の午後11時ごろ、
セナがクラッシュしたというニュースが速報で流れました。
「エッ!?、どうしたんだろう!?」と不安な思いに包まれながら、
夜(たしか深夜1時くらいだったと思う)の放送を待ちました。

F1中継のオープニングは、
解説のモータースポーツ・ジャーナリストの今宮純さんと、
当時実況を担当していた、いま『めざましテレビ』MC・三宅正治さんの2ショット。
今宮さんも三宅さんも、動揺を隠せないようなぎこちない感じで
セナの事故を伝えていました。
そのとき、二人とも少し泣いていたように思う。

もしかしたら、ただごとではないのかも!?

セナがタンブレロコーナーを曲がりきれず、
コンクリートウォールに直撃していくシーンが何度か放映されました。
これは、セナのうしろを走っていたミハエル・シューマッハの車載カメラの映像。

クラッシュしたセナのマシン周辺はシートで覆われ、
その中で緊急の治療が行われたあと、ヘリで病院へ。

テレビ中継がスタートしたのは、たぶんそのタイミングだったのでしょう。
今宮さんも三宅さんも、まだその時点では正確な情報は入っていなかったものの、
コトの重大さは現場にいてわかっていたのだと思います。

誰もがセナのことを気にしながらもレースは続いていたのですが、
その途中で流れたテロップに目を疑いました。

「セナが病院で死亡…」

呆然としました。これが20年前の僕の記憶。

セナが所属していたウィリアムズは、
事故死以来ずっとセナ財団のロゴをマシンに付けていましたが、
今季は没後20年ということで、マシンのノーズコーン左側に
セナの写真と「Ayrton Senna Always」というメッセージ入りのロゴが付けられます。

ウィリアムズ創設者のフランク・ウィリアムズ代表によると
「あたらしいロゴは、セナのレースドライバーとしての功績と、
セナ財団がブラジルで教育機会の推進に果たしてきた立派な仕事ぶりを
チームとして讃えるもの」と会見で述べました。

セナについて語ると僕は3日くらい喋り続けてしまうので(笑)、
それは別の機会にしますが、セナはF1ファンにとって永遠のヒーロー。

若い世代の人にも知ってもらいたいし、
今回のようにロゴを付けたりしてくれるのは、とてもうれしく思います。

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はらぼー

自分にとってのヒーロー、スターが亡くなる時のショックは、
他人には計り知れないものですよね。
自分が少しずつ歳をとっている毎日毎日、
そんなことが起こらないように、
といつも願っているボクです。
by はらぼー (2015-05-11 09:30) 

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