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新選組と西本願寺の関係は!? 太鼓楼の内部公開! [雑感]

僕は戦国時代や幕末の歴史が好きで、なかでも新選組に興味がある。
新選組関連の本はけっこう読んでるし、映画も見たし、
実際に足跡を訪ねたこともある、ちょっとしたオタクなわけで。

そんな僕がピピッと反応した先日のニュース。
“新選組が西本願寺を屯所にしていたときの文書発見!”
この頃の記録ってほとんどなかったから、かなり貴重なんだよね。

新選組ってさ、壬生(みぶ)に屯所があったんだけど、
手狭になって西本願寺の北集会所(きたしゅうえしょ)に拠点を移すのね。

西本願寺.JPG

見つかったのは、新選組が西本願寺に移った1865年(元治2年〜慶応元年)と
1867年(慶応3年)の西本願寺の日記など計14点。

新選組が西本願寺に借金をお願いしたり、
副長の土方歳三が待遇改善してよと困ってる様子が記録されているそう。
新選組は、借りたお金ほとんど返さなかったらしいけどね。

土方歳三像.JPG

北集会所は約200畳くらいあったんだけど、
土方副長は「1人1畳くらいのスペースしかなくて、めちゃめちゃ狭いし暑いし、
なんとかしてくれない? 隊士の不満プンプンだよ」って伝えたんだって(現代語訳=僕)。

さらに「でさ、阿弥陀堂の一部、50畳くらい貸してくれない?」と要求したら、
西本願寺は「やだよ。でも集会所の使ってないところに畳敷いて、
壁壊して風通し良くしてあげる」と対応。

そしたら、土方副長から
「無理なお願いをソッコーできいてくれて、ほんとサンキューね」と
その日のうちに礼状が届いたそうです。

ここでさ、僕が知ってたこととちょっと違うのは、新選組と西本願寺の力関係。
西本願寺って、毛利家の支援を受けてた縁から長州びいきなわけね。
それで新選組はモロ幕府側だから、
敵対する長州と親しい西本願寺の動きを見張る意味合いもあって、
なかば強引に屯所にしたと思ってた。

新選組怖いからさ、「おい、ここを屯所にするぞ。文句あっか?」的に。
大砲の実弾訓練したり、ブタ飼ったり、好き放題して、いつも僧侶が脅えていたのかと。
そんなふうに書かれた本もあったような気がするんだよね。

でも、実際はそーゆう感じではなくて、西本願寺が僧侶たちに対して
「新選組隊士に傲慢な態度を取っちゃいけないよ」というお触れを出していたらしい。

西本願寺にとって新選組が迷惑な存在だったことには変わりがないけど、
それほどビビってたわけじゃなく、
新選組としても屯所の居心地が悪いと隊士が逃げちゃうから、
西本願寺と隊士の両方に気遣っていたようです。

そのときの北集会所は、現在兵庫県姫路市の亀山本徳寺に移築。
僕行ったことあるけど、柱に刀キズがたくさん残っててリアリティあるよ。

亀山本徳寺.JPG

刀キズ.JPG


それと、北集会所とともに新選組が屯所の一部として使ってたのが、いまも残る太鼓楼。

太鼓楼外観.JPG

実は僕、中に入ったことあります。
写真掲載の許可もらってるので、公開しますね。
8畳くらいの狭いスペースの中に、大きな太鼓が2つありました。
決められた時刻に「ドーン、ドーン」って太鼓を打って、合図にしていたらしいです。

太鼓楼内部_1.JPG

太鼓楼内部_2.JPG

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